原点は、中学時代の「お節介」
私が教育に興味を持つようになったのは、かれこれ9年前の中学時代に遡ります。私の通っていた公立中学は、偏差値38程度と、お世辞にも「頭が良い」とは言えない学校でした。 どんどん下がっていく学力をなんとかしようと、先生方も必死で「大量の課題」や「朝の自習タイム」を導入してくれましたが、結局どれも不発。私のような「ある程度できる」生徒にとっては無駄な課題が増えるだけで苦痛でしたし、クラスメイトの中には、その基礎的な課題すらわからずに頭を抱えている子が何人もいました。 そんな彼らを放っておけず、自然と「教えてあげたい!」という気持ちが芽生えた私は、勝手に空き教室を借りて、テスト前になるたびに対策講義を開くような「お節介」な生徒でした。(案の定、先生には怒られましたが 笑) でも、今思えばそこが私の「教育の原点」なんです。
その後、私はその中学から10年以上ぶりに国立の高専に進学したのですが、そこで最初の授業から周りとの能力差に衝撃を受けました。「自分の実力ってこんなもんだったのか…」と本気でへこみましたね。 でも、高専の先生方は優しく、いろんなことを教えてくれました。それをヒントに、1年生の冬休みに自分で自分に「特訓」を課すことにしたんです。 とにかく予習をすること。多くの問題を解くこと。わからないところはすぐに聞くこと。これを冬休みの2週間、毎日17時間近く狂ったように続けました。 その結果、数学は60点(赤点ギリギリ)から90点台へ、物理は15点からほぼ満点へと劇的に成績が上がったんです。 ここで私はハッとしました。「あ、勉強ができないのって、頭が悪いからじゃない。単に『やり方』を知らないだけなんだ」と。
「やり方」さえしっかり教えれば、今勉強ができなくて悩んでいる同級生や後輩たちも絶対に成績を上げられる。そう思っていた矢先、学内のウェルネスセンター(保健室のようなところ)から声をかけていただき、学生同士で教え合う「ピアサポート活動」を立ち上げることになりました。 そこには、勉強の悩みだけでなく、発達障害や学習障害(LD)を持っている生徒、なかなか学校に通えていない生徒など、本当にさまざまな悩みを抱えた子たちがたくさん来てくれました。(もちろん、社会福祉士の専門的なサポートを受けながらの活動です)
結果として、活動を終了するまでの2年間で、20名以上の生徒を留年の危機から救うことができました。ここで私が学んだのは、「適切なサポートと環境さえあれば、人は誰でも変われる」という紛れもない事実です。
編入受験という高い壁、桑都塾の原点
ピアサポート活動にのめり込んでいた3年次の頃、1つの大きな分岐点が訪れました。それは、「自分が編入受験をする」か「編入受験を目指す同級生のサポートをする」か。 当時、私自身も東京工大(現:東京科学大)を目指して勉強していましたが、正直なところ「自分のために」より「誰かのために」役に立ちたいという思いの方が、はるかに上回ってしまったんです。
そんなこんなで私が下した決断は、ご存知の通り、「同級生のサポート」でした。同級生からお金をいただいて授業をすることに最初はプレッシャーもありましたが、生徒のためにカリキュラムを試行錯誤し、テキストを作り、合格までの道を一緒に作っていく楽しさに、どんどんのめり込んでいきました。結果的に3校の合格を導くことができ、この経験は今の私の大きな自信になっています。
その後、「もっと現場を知りたい!」と思い切って飛び込んだ進学塾でのアルバイト。大人数を相手にする集団授業にはじめは戸惑いましたが、工夫次第で一人ひとりにしっかり寄り添えることに気づき、「これを自分の手で、もっと自由に、もっと本気でやりたい」と思うようになりました。 これが、「桑都塾」として独立を決意した理由です。
すべての子どもに教育を
塾講師として働く中で、「この子にもっと教えてあげたいのに」と歯がゆい思いを何度もしました。進学塾の月謝は高く、経済的な理由で通うのが難しいご家庭にとっては大きな壁になります。 「お金がないから」「環境が悪いから」という理由で、学びたい意欲のある子が機会を奪われる社会は絶対におかしい。
だからこそ、桑都塾は「自由な料金設定」と「低価格」にこだわります。 固定の月謝制ではなく、ご家庭の事情に合わせて柔軟に調整できる1コマ単位での受講システムを採用し、敷居をできる限り低くしました。
「年齢、経済格差、環境に左右されず、勉強したいと思うすべての子どもたちにのびのびと勉強してほしい」
これが、私たちが一番大切にしている信念です。 不登校、発達障害、学習障害などに悩まれている方も、どうか一人で抱え込まず、私たちに相談してください。 経済的な面も含め、一緒に考えて全力でサポートいたします。
